何週間か前の週刊誌の見出しに、「あ~、こんな(ちんけな)候補者の中から我国の首相が決まるなんて!」
みたいな嘆きの帯が出ていましたが、恐らく、90%以上の国民が同じ事を思っているのでしょうね。
昔は、総理大臣と言えば、雲の上の存在で、立身出世の象徴みたいなイメージでしたが、今では、本当に地に堕ちてしまったものです。
それでも、政治家の方々は、皆さん、総理大臣になりたいんですね。
何故だろう? 政策もないのに・・・。
そして、「誰が、(首相に)なっても、何も変わらないでしょう・・・。」と言うのも、殆どの国民の共通した見方でしょう。
にも拘らず、テレビは、何時間も掛けて、このテーマを取り上げています。
これで、聴視率取れているのかなぁ?
新聞記者達も、候補者を追いかけて、インタビューしたり、記者会見に大挙して押し掛けたりしている。
全く、報道もせず、新首相の記者会見にも、どの新聞社もテレビ局も、一切のメディアが無視すれば面白いのに・・、なんて思ってしまいました。
そうすれば、彼らも、あまりの自分達のひどさに、国民から完全に見放されている事実に気が付くのでは・・・
、なんてね。
それでも、野田氏が当選したのは、僅か数パーセント程度の期待値かも知れませんが、少しは、変わるかも・・・。
海江田氏や前原氏では、また、パフォーマンスだけで終わると思いますから。
まあ、野田氏の自分自身を、「どじょう」に称したメッセージと言うのも、ある意味、謙虚なイメージを訴える為のパフォーマンスに思えない事もありませんが・・・。
やっぱ、誰がやっても同じなんでしょうね。 ふっ!